カテゴリー「書籍・雑誌」の5件の記事

フェルマーの最終定理

  「フェルマーの最終定理」はサイモン・シンの1997年の作品。青木薫訳の新潮文庫版を読み終えた。証明がされたことがニュースになったのも、この本が話題になったのもずいぶん前なんだけど、ネタバレにならない範囲でメモ。   
  サイモン・シンはBBCで同テーマのドキュメンタリー番組制作に関わっていただけあって、読みやすくまとめてある。

 

  フェルマーの最終定理そのものは簡潔。まあWikipediaでも見ればすぐわかることなんだけど、自分なりに書いてみると、まず、次の方程式には、x、y、zともに整数になる解が見つかる。

 

  x2 + y2 = z2

 

  たとえばx=3、y=4、z=5は解のひとつだ(3の2乗(=9)と4の2乗(=16)の和は5の2乗(=25)になる)。この方程式は、ピュタゴラスの定理「直角三角形の斜辺の2乗は他2辺の2乗の和に等しい」を示す。ピュタゴラスは、紀元前6世紀にこの定理を証明した。

 

  ところが、3乗にした次の方程式には、整数解を見つけられなくなる。

 

  x3 + y3 = z3

 

  16世紀の数学者フェルマーは自著の余白に、次の方程式を立てたとき、「この方程式でnが2より大きい場合に整数解はない」といったメモを書いた。これが表題の「フェルマーの最終定理」である。

 

  xn + yn = zn

 

  ただし、フェルマーのメモは「自分はこれを証明できるが、余白が狭すぎてここには書けない」と続く。

 

  以後約350年もの間、この証明に挑戦する者は後を絶たなかったが、かなわなかった。

 

  本書はアンドリュー・ワイルズが証明を「終わりにする」ために使った材料に目を向け、史実に沿って個々の材料を紹介する形で語り進めてゆく。稀代の難問にはあまたの人物が直接的・間接的に関わっており、それぞれにドラマがあるのだ。オイラー、ガウス、チューリングといった数学者と並んで、谷山豊、志村五郎の研究に多くのページが割かれるのが日本人としては誇らしいところ。まあ、研究の詳細は素人のあっしにはさっぱりなんですが。

 

  学校で教わった数学の中に、数学史上比較的新しいテクニックが少なからずあることに驚く。数学に限った話ではないけども、昔は一部の学者しか知らなかったことが、いまの日本では普通に学べるんだよね。さらに、コンピューターとインターネットという強力な武器も備わっているもんだから、昔の学者から見ると相当恵まれた環境にあると思う。   
  でも、コンピューターの計算速度やネットの情報伝達速度がいくら上がっても、まだまだ人間にしかできないことがあるのはしっかりと憶えておきたい。

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気になるテクノロジー・文章編

Google 日本語入力 beta
 ベータ版なのにあちこちで話題のIME。
 携帯電話にあるような予測変換の候補に、よく「ググられる」語句が何食わぬ顔で並ぶのが愉快。
 「忌野清志郎」とかの変換しづらい漢字を変換するときは便利。でも、言葉の分野を絞るような機能がなくて、文章を書き進めるうちに絶対使わない語句もちらちら表示されては消えてくのがわずらわしい。正式リリースで、MS-IMEと足して2で割ったぐらいのとこまでこなれれば、また使うかも。

青空文庫
 古くからある有名どころですが、文章繋がりで紹介しちゃおう。著作権切れの、主に日本の文学作品を公開するサイトです。2009年12月時点で、8,633の作品が公開されてます。「奇巌城」の字がふと目についたので調べてみたら、海外作品の翻訳もありました。
 テキストデータの配布もありますが、xhtml形式をウェブブラウザで開いたほうがおそらく読みやすいはず。最近また話題になった読書端末にも取り込めるようです(詳しくは調べてませぬ)。
 ちなみに洋書に関しては、アメリカで1971年から始まったらしいプロジェクト・グーテンベルクというのがあります。Googleも似たことをしてます。

ウィキソース
 著作権切れの文書を公開する、ウィキペディアの姉妹プロジェクト。日本のものはまだ少ない感じ。
 知識を早く広く共有しようとする動きが、年々活発になってきてますね。twitterにも似た流れを感じます。

スタパブログ
 スタパ齋藤氏のブログ。テクノロジーと猫の融合。みたいな。

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「精霊の守り人」上橋菜穂子

 ひさびさに小説を読みました。

「驚異の発明家の形見 上・下」(アレン・カーズワイル/創元推理文庫)
 カバー絵に妙に惹かれてジャケ買いならぬカバ買いしたところ意外と楽しめました。おおまかに、上巻は多才な少年技術者クロードがその尊師(アベ)の元で成長してゆく様を、下巻はクロードがある発明に傾倒する様が書かれてます。創作物の鑑賞の仕方、捉え方は鑑賞者自身の経験や思想に大きく左右されるものですが、あっしの場合下巻のエピソードがいまはまってるあるものをイメージさせられて、フランス革命前夜と時代こそ違えど似たことをしようとしてたクロードにかなり親近感がわきました。親近感がわきすぎて、クロードが歳をとることが悲しく思えてしまいます。いつまでも少年のままでいてほしい。

「精霊の守り人」(上橋菜穂子/新潮文庫)
 出典を忘れちゃったんですが、荻原規子の「空色勾玉」、小野不由美の「十二国記」と並んで、この本が日本人女性作家による三大ファンタジーの一つであるとどこかで書かれてあったので、じゃあ読んだことのないこれを読んでみようかと買ってみた次第。けっこう人気のあるシリーズみたいで、単行本では続編が十巻まで出てます。初版は1996年。
 ライトノベルのファンタジーものにありがちな読者に媚びる表現はありません。スケールは飛びぬけて大きくはないけどしっかりとした設定に基づいて書かれてて、話が前に前に進む感じで飽きさせず、一気に読ませます。戦う女性が描かれる点でも空色勾玉、十二国記と共通点があります。文庫化されれば、続きも読もうかな。
 あと背景設定、専門用語の使い方にFFXIの魔法大国ウィンダスを思わせるものがあって、そういえばゲームという媒体をとってはいるもののドラクエもFFも和製ファンタジーの系譜上に存在するのだなと改めて思った。

 ってこの作品、今年アニメ化もされてたのだな。その宣伝効果で、あっしの耳に入ってきたのかもしれない。

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「トム・ゴードンに恋した少女」スティーヴン・キング

 メルヘンなタイトルからは予想がつきませんが、少女が独り森で遭難する様子をリアルに描く話です。
 キングの文章には、登場人物の仕草や言い回し、地の文章にも、作中人物への愛がにじみ出てることがあって、どんなに救いようのない状況におかれても、作中人物が誰かに見守られてるような不思議な印象を受けます。もっともこれはあくまで印象であって、実際には破滅してしまうことも少なからずあるのですが。
 キングが少女トリシアを救うのか、見放すのか。トリシアの描写には例によって愛が感じられますが、しきりに後者を示唆する伏線も出てきて気を抜けません。

 ところで、9歳のトリシアが学ぶのは、

 世界には歯があって、油断していると噛みつかれる。

ということです。人間なんて自分ではうまく生きてるつもりでも、ふいに噛みつかれ、飲みこまれ、消えてしまう生き物なんです。そこまでわかってても、だからこそいまこの一瞬を大切に生きなきゃという刹那主義に至るほどは勇気が出せず、ある程度は未来に向けた努力をし、ある程度はそんな努力なんて何にもなりはしないと冷めた目をしながら、どっちつかずな生き方をするのもまた人間ですね。

 あっしが9歳のころ学んだのは、

 世界には胞子が舞っていて、油断していると放置していた水彩絵の具セットに生えてくる。

ということでした。

 以下、ややネタばれ。

 1998年6月初めのアメリカメイン州付近が舞台なんですが、トリシアがリュックに忍ばせてたのは、ゲームボーイとウォークマン(カセットテープ版)でした。あっしも歳をとってきたようで、98年ってつい最近だとしか思えないんですが、まだNintendo DSはもちろん、iPodも出てない頃です。
 Wikipediaを見ると、98年ってけっこう昔なのだな。郵便番号7桁化。長野オリンピック開催。タバコCM全面禁止。和歌山で毒カレー事件。iMac発売。夜空のムコウミリオンヒット。モーニング娘。デビュー。ドラマのショムニ放映。ときの総理は橋本龍太郎、アメリカ大統領はクリントン。

 トリシアは山菜のぜんまいを普段から「美味しい」と思っており、野菜があまり好きではない兄も「ぜんまいだけは食べた」そうです。あっしが同じくらいの頃は好き嫌いが多くて、山菜の類はどちらかというと勘弁願いたい食べ物でした。嫌いな食べ物も食べられないことはないんですが、なかなか飲み込めず食べるのが非常に遅くなり、そうじの時間が始まってもまだ席に座ってたりするわけです。リミットは5時限目の始まりのチャイム。もう間に合わないと見切りをつけると、コッペパンはビニール袋に入れてランドセルにしまいこみ、食器類はカチャカチャ音を立てて大急ぎで給食場に運びます。ここでよくあるのが、はっちゃけすぎて牛乳瓶を落として割るという失敗です。
 何の話だっけ。そうそう、驚いたのは、ぜんまいがアメリカにも生えてて、食用になってるってことです。和食ブームの影響かなと思うんですが、案外昔からアメリカでも食べる習慣があったりするんでしょうか。

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「みんな元気。」舞城王太郎

 文庫で出てたので読んでみました。
 表題作は基本的には中学生女子の私小説でありながら、魔術的リアリズムのエンジン全開で、奇抜な話がコンスタントに披露されます。おーすげーとか心の中で声出しながら読みふけってしまいました。なんて贅沢なテキストなんだ。
 通勤途中にもすきあればポケットから取りだして読んでました。新宿駅は地下鉄を降りてから地上に出るまでに長いエスカレーターを3本乗り継ぐんですが、ここが読書に最適です。エスカレーターが終わると開いたページに指を挟んで、早歩きで次のエスカレーターに進みます。このときはもう、ヴァーチャルな世界に片足つっこんだまま半ば自動的に足が動いてます。対向する通勤ピーポーを無意識に左に右に避けつつ、もはや読書のために歩き、読書のために休む、そんな機関と化してました。
 こんな感じで熱中してたらすぐ読み終わってしまい、肥大した読書欲をぱこんとくじかれ、ちょっといまくすぶってます。
 これ、単行本だと5つ短編が収録されてるのだな。全部読みたいけど買いなおすのもあれだし、どうしてくれよう。

 ※と思ってたら他の2編も分冊で文庫化予定らしい

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